高位脛骨骨切り術 - 退院後膝の水を抜くこと3回目
2020年5月下旬に『高位脛骨骨切り術』を受けて、術後4カ月と10日ほどが過ぎました。
通院の日
退院してからは2週間ごとに定期的に整形外科に通院しています。一昨日はその通院の日でした。
外来で受付を済ませると、診察の前にレントゲン検査に呼ばれました。レントゲン検査は4週に1回の割合で行います。今回もいつの模様に、膝を曲げたとき、膝を伸ばした時、横向になって2枚の計4枚のレントゲンを撮ります。手順は慣れたもので、すぐに終了です。
診察でレントゲンの結果を見ると、人工骨の半分程度がもやもやした感じに写っていました。全体がくっつくまではまだまだかかりそうです。ちなみに人工骨が吸収されて自分の骨になるのに3〜5年かかるということです。
レントゲンの結果を見た担当医からは、「アクセラス(超音波骨折治療器)はもう必要ないので、返却して大丈夫です。」と告げられました。まだまだアクセラスの治療は続くのかと思っていましたが、これで毎晩の20分間のアクセラス拘束から抜け出せます。アクセラスの位置を示す膝のXマークが消えないように、マジックで印をつける日々も終了です。
膝の水を抜く
気になることが一つありました。前回の通院では膝に溜まっていた水を抜いて、炎症止めのステロイド剤(デキサート)を注射しましたが、その後2~3日するとまた膝が腫れて苦しくなってきていました。
特に激しい運動をしたわけでもなく、膝を酷使したつもりはないので原因がわかりません。しいて言えば、通勤の時、速足になったり小走りになったりしたくらいでしょうか。前々回担当医から「軽めのジョギングなら良いでしょう」との許しがありましたが、とても走ることはできませんでした。
今回もやはり膝に水が溜まっていたので、20cc程度の水を抜いて炎症止めのステロイド剤(今回は、ケナコルト−A)を注射しました。抜いた水の色は透明の黄色で浮遊物はありません。
退院してから膝の水を抜いたのは、今回で3回目になります。
筋トレなどの運動も必要なので、しばらくは炎症が起こって膝に水が溜まることが続くかもしれません。
リハビリ
診察の後は、リハビリです。理学療法士さんとは、1カ月ぶりの再会です。
理学療法士さんは膝の具合を見ながら、いつも的確な指導をしてくれます。
まずは片足立で膝の曲げ伸ばしをして、左右の違いを見ます。筋トレについては私がジムでやっている種目を実際にやってみて、その後動きを修正してもらうのですが、ちょっとした体の傾きで筋肉にかかる負荷が全く変わってきます。
足の筋トレは5種目です。
スクワット
膝の痛みが出ない程度に行います。10回2セット。
理学療法士さんのアドバイス → セット数を増やしてください。
ランジ
足を前後に開き、上体をまっすぐ起こしたまま両膝を90度曲げ、30秒動きを止めます。
理学療法士さんのアドバイス → 前足をほんの少しだけ前に傾けると前足の太ももに負荷がかかりやすくなります。
太ももの前の筋トレ
膝の下にタオルを敷き、膝を伸ばして足首を浮かすようにします。
理学療法士さんのアドバイス → 足首にウエイトを置きますが重量制限は特にありません。
お尻の筋トレA
足を伸ばして横向きに寝て、上の足を持ち上げます。10回2セット。
理学療法士さんのアドバイス → セット数を増やしてください。
お尻の筋トレB
足を90度曲げて横向きに寝て、踵はつけたまま上の足の膝をあげていきます。10回2セット。
理学療法士さんのアドバイス → セット数を増やしてください。お尻の筋トレAとBでは、効く箇所が違ってきます。
膝に水が溜まる原因として、筋力低下があるかもしれないので、次回は筋力の計測を行うことになりました。
モンゴルの草原を走った2015年の夏(後編)
(前編からの続き)
3日目:マラソン大会
朝食を済ませ、ほかのツアー団体と一緒に大会事務局の用意したバスで会場へ向かいます。
移動中、「距離別に色分けしたいので、ナンバーカードの番号の周りを囲ってください」とマーカーを渡されました。計測する人が見分けやすいようにするためだそうです。また、「時間通りにいかなことが多々ありますが、彼らなりに一生懸命やっています。」というアナウンスが何度もありました。これもモンゴル流らしい。
1時間半ほどで会場に到着です。バスから降りる前に、外の景色を見ながらコースの説明がありました。
「10kmとハーフは、あそこからあの辺まで行って1週回り、ハーフはそれを2周します。赤い旗と青い旗がありますので・・・。」
広すぎて説明されても良く分かりません。とりあえず前の人に離されないようについていくしかありません。
説明が終わってバスを降りたとたん、風が香っているのを感じました。草原の香りです。何かハーブのような香りがしました。そして、一面の青い空です。近くには小高い丘、そして遠くにも丘が見えます。モンゴルの移動式住居のゲルもあります。
これからこのモンゴルの草原を走るのかと思うと、心の奥底からしだいに気持ちが昂ってきます。
そして、ジージーという音がします。音??電気のような機械音に似ています。移動しても後をついてくるかのように近くでずっとその音が鳴っています。しばらくは何の音かわかりませんでした。
突然、目の前で小石のようなものが飛んでいきました。良く見ると小石と思ったものは、3~4センチもあるバッタでした。ジージーという音はどうもそのバッタが鳴いている音のようです。
嬉しいことに、おにぎりと焼きそばの入ったお弁当が大会主催者から提供されました。ハーフのスタートは12時の予定なので、お弁当はゴール後にいただくことにして、日本から持ってきたエネルギージェルを飲み込んで、準備をします。
スタートするころには気温が上がり25度は超えていたのではないでしょうか。給水は1か所のみと聞いていたので、ペットボトルをウエストバッグに入れてスタート地点に並びます。10kmとハーフが同時にスタートしました。スタート直後は軽い登りでしたが、標高が1500mともなると日本で走っているようにはいきません。無理をしないように走ります。
1週目も終盤の8~9キロ地点で給水がありました。現地のスタッフがひとり、手を振って迎えてくれます。ウエストバッグの水も少し残っていましたが、とにかく暑いので、ペットボトルを1本もらって、手に持って走ります。
スタート地点に近づくにつて、声援が聞こえてきました。その応援に励まされながら、2周目に突入です。10キロのランナーはここでゴールです。
急に目の前のランナーが少なくなりました、そしてなんとかはぐれない様に前の人についていきたいところですが・・。
気付くと前には誰もいません。かろうじて草がなくなって道のように見える上を走っていきます。遠くの丘まで草原が続き、まったく距離感がつかめません。
ようやく丘を越えると、前に一人のランナーがいるのが見えました。次第に距離が縮まり近づいてきます。そのランナーは歩いていました。地元のモンゴル人で、どうも暑さでまいっているようです。水も持っていません。わたしが手に持っていたペットボトルを差し出すと、嬉しそうにして受け取ってくれました。私も彼のおかげでコースから外れていないことがわかって、これでコースアウトの心配がなくなりました。
その後も、美しい景色に見惚れてはぐれてしまいそうな場面も何度かありましたが、モンゴルの雄大な景色と風薫る草原を満喫して、最後は充実感いっぱいでゴールのゲートをくぐりぬけました。
マラソン終了後は表彰式があり、優勝者には馬が1頭贈呈されました。
その後は、打ち上げパーティに参加して、大会事務局の用意したバスでホテルへ戻りました。
4日目:帰国
帰国の日は風の強い朝となりました。夜に雨が降ったらしく路面が濡れています。
早朝、ワゴン車でガイドさんと一緒にチンギスハーン国際空港へ向かいました。ガイドさんとは空港でお別れです。ガイドさんにはいろいろとお世話になり、短い間のお付き合いでしたが、お別れはいつも切ない思いがします。
車の中でガイドさんから配られた朝食のお弁当を、空港のロビーでいただきました。
帰りの便も、MIATモンゴル航空です。出国審査を終えてほどなく日本へ向かう予定でしたが、強風のため足止めとなりました。すべての便が足止めになり、空港内はかなり混雑していました。出国審査を終えているので、おとなしく待つしかありません。私は残った紙幣で買い物をしたり、カフェで飲み物を飲んだりして時間をつぶしていました。
結局4時間ほど遅れての出発となり、成田空港到着14時頃の予定が、着いたのは夕方となりました。
思うこと
モンゴルの草原は雄大で、当時縮こまっていた私の気持ちを前向きにしてくれました。
何万人も参加する有名なマラソン大会は興奮と感動がいっぱいですが、「モンゴル国際草原マラソン大会」のようなちょっと変わった大会はいろんな意味で良い刺激になります。
今はコロナ渦の中で、海外旅行に行くことも難しくなっています。
私は膝の手術をしていまだ走ることができない状態ですが、すべての事態が好転して海外に行くことができるようになったときは、再び海外マラソンに挑戦したいと思っています。
http://mongolia-marathon.org/index.html
モンゴルの草原を走った2015年の夏(前編)
2015年の夏
2015年の「モンゴル国際草原マラソン大会」で、私はハーフ(約21km)を走ってきました。
その時のことを思い出しつつ、綴ってみたいと思います。
「モンゴル国際草原マラソン大会」はその名の通り、草原の中を走るマラソン大会です。健康ならだれでも参加可能で、日本人とモンゴル人が多く参加しています。
種目は、ハーフ、10km、5km、3kmがありますが、距離は正確ではなくアバウトなのだそうです。そして、ハーフの優勝者には「馬一頭」、外国人1位には「羊一頭」の賞品が贈られます。距離にしても賞品にしても、日本国内では考えられない「ちょっと何言っているのかわからない」状態です。
「モンゴル国際草原マラソン大会」は3泊4日で、いわゆる弾丸ツアーに近いものがあります。
1日目:東京(成田)→モンゴル(ウランバートル)
2日目:市内の一般家庭を訪問、観光
4日目:モンゴル(ウランバートル)→東京(成田)
同じツアーには私も含めて5名が参加しました。
旅行代金は、22~23万円くらいだったと思います。
1日目:出国
14:40成田発のMIATモンゴル航空にて、ウランバートルへ向かいます。4時間半のフライトでチンギスハーン国際空港に到着しました。意外に近い感じがします。日本とモンゴルの時差は1時間(モンゴルが1時間遅い)ですが、当時はモンゴルにサマータイムがあったので、日本とモンゴルの時差はありませんでした。なので、時差ボケもありません。
空港の建物を出ると、日本語が話せる現地のガイドさんとタクシードライバーさんがお迎えしてくれました。
ワゴン車のタクシーで、ホテルへ向かいます。ホテルは、日系のフラワーホテルで大浴場もあります。
ホテルに着くと、他のツアー参加者と共に遅い夕食をとりました。22時近かったと思いますが、コースディナーのようなしっかりした食事で、食べきれないほどでした。
部屋はツアーで一緒になった方と相部屋で、シャワー付きの広い部屋です。
2日目:市内観光
午前中は、ウランバートル市内にあるガイドさんの家庭を訪問しました。訪問した家では部屋の中を見せていただいたり、モンゴルの家庭料理をご馳走になったりしました。
①バンタン:羊肉と小麦粉の塩味のスープ。
②ボーズ:羊肉、玉ネギ、塩などで作るシュウマイのような蒸し料理。旧正月にたくさん作るのだそうです。
③ボールツォグ:小麦粉をねって油で揚げたもの。
④アーロール:乾燥チーズ。
ご馳走になった中でも「ボーズ」は特に美味でした。
短い時間でしたが、モンゴル人の暮らしにちょっとだけ触れることができました。
午後は、最初に郵便局に立ち寄りました。局内はとても広くて、たくさんの絵はがきと切手が並んで売られています。ここで切手とはがきを購入して自宅宛てに送りました。とても良い記念になります。
続いて、デパートでお土産探しです。キーホルダーなどお手頃のものがたくさんあります。そのほかにも食料品や日用品を見てまわってウインドウショッピングを楽しむことができました。
そして、民族音楽のコンサート鑑賞です。低い声と甲高い声の2つの音を同時に発声する「ホーミー」というモンゴルの伝統的な歌声がすばらしく、とても感動しました。
その後は、チンギスハーン広場を見学して、近くのレストランで夕食をとりました。
そして、ホテルへ戻ります。夜の9時30分を過ぎているというのに、ホテルから見るモンゴルはまだ明るく、夕焼けがとてもきれいでした。
明日はいよいよマラソン大会です。
(後編へ続く)
松葉杖で歩くのは思ったより大変でした
松葉杖のお世話になったことはありますか?
私が松葉杖のお世話になったのは、今までの人生の中で3回あります。
初めて松葉杖のお世話になったのは、30年以上前になります。
2回目にお世話になったのは、今から7年前の2013年です。
3回目は、このブログに綴っていますが、変形性膝関節症で高位脛骨骨切り術を受けたため、治療過程で松葉杖のお世話になりました。
1回目:若かりし頃
初めて松葉杖のお世話になったのは30年以上前で、左膝の内側側副靭帯を断裂して縫合手術を受け、1カ月半入院した時です。昔は靭帯断裂の場合は、縫合手術をしていました。
ギプスは足首から太ももの上まであり、1カ月間膝は曲げることができず、ずっと足を伸ばした状態でした。その後2週間は、ギプスを半分に切って、下側だけあてて包帯を巻いて固定していました。これは、ギプスを外してリハビリを行えるようにするためです。
リハビリが始まると車椅子から松葉杖に変わります。かなり昔のことなのであまり覚えていませんが、若い頃なので筋力もあり、松葉杖を使うにもそれほど苦労は無かったように思います。
2回目:2013.2.24東京マラソンのとき
2013年開催の東京マラソンにようやく当選し、張り切って練習に励んでいた頃です。昂る気持ちも日ごとに増してきていた2月、忘れもしない東京マラソンの10日前、ちょうどバレンタインデーの日に、私は階段から落ちて右足に怪我をしてしまいました。
翌日、近くの整形外科クリニックに行くと右足の腓骨と外果骨折(すねとくるぶしの骨折)と告げられました。幸い手術の必要はなく、3週間のギプス固定となり、松葉杖を借りて帰宅しました。
当然走ることはできず、やっとのことで当選した東京マラソン参加は泣く泣く諦めました。
その東京マラソンには友人がボランティアとして参加することになっていて、二人一緒にJR&ホテルのツアーを予約していました。キャンセルすることも考えましたが、せっかくなので観光だけでもと思い、無謀にも松葉杖で東京まで行ってきました。
その時はまだ片足に荷重をかけることができない状態だったので、移動にはかなり苦労しました。特に駅の中は階段を避けてエレベーターを利用するのですが、エレベーターの位置がホームの端にあるとそこまで移動するだけで疲れてしまいます。階段だと最短距離で行けるのに、エレベーターを使うとかなり遠回りになってしまうことがよくありました。
3回目:変形性膝関節症で高位脛骨骨切り術を受けて
手術後15日目で体重の1/3の荷重、手術後22日目で1/2の荷重、手術後28日目で全荷重をかけて、松葉杖で歩く練習をしました。退院後は、全荷重で片松葉杖だったので、電車通勤も何とか乗り越えることができました。
松葉杖の疑問
松葉杖を使っていたときに「松葉杖で雨の日はどうするの?」とよく聞かれました。
濡れたところは滑りやすく松葉杖で歩くのは危険なので、できれば外出は控えたほうが良いと思います。どうしても外出する場合、両松葉杖では傘は使えないのでレインコートやカッパを利用します。ギプスは、ごみ袋でカバーします。専用の「ギプスカバー」も楽天やアマゾンなどで購入できるようです。
雨の日でなくても、片足に荷重をかけることができない状態で、松葉杖を使って歩くのはかなり大変です。電車やバスに松葉杖で乗っていると、不安定でとても疲れます。そして、普段使わない筋肉を使うので、筋肉痛になります。
幸いにも一度も松葉杖を使ったことのない方は、何かにつかまって片足だけで移動したり、電車の中で片足立ちして乗ってみたりすると、この大変さを感じていただけるかもしれません。
高位脛骨骨切り術 -退院3カ月目
『高位脛骨骨切り術』を受けて、2020年6月下旬(手術後4週間)に退院しました。
退院3カ月目(9月)の様子です。
9月1週目
1日からジムに通い始めました。筋トレ再開です。
筋トレと言ってもマシンを使って軽く体を動かす程度から始めます。
4日にはピラティスのパーソナルレッスンを受けました。
骨切り術を受けて左足がO脚からX脚の向きになり、何となくぎこちない歩き方をしているなと自分でも感じていました。力のかかる方向が変わったので、左右のバランスが悪くなっています。
ピラティスでは膝に負担をかけないように、左右の傾き、前後の傾き、体全体のバランスを整えていきます。
ピラティスが終わると、ぎこちない歩き方が少し改善され、歩くのが楽になります。
これからは、週2~3回の筋トレと、週1回のピラティスを受けて、ランニングに向けて少しずつ体を鍛えていきます。
9月2週目
8日は外来診察、リハビリです。レントゲンの結果は良好でした。人工骨の1/3程度がくっついてきているようで、レントゲンではその部分がもやもやした感じに写っていました。
担当医から「軽めのジョギングなら良いでしょう」というお許しが出ました。
リハビリでは、7mくらいの長さのマットの上を試しに軽く走ってみました。いい感じです。
アクセラス(超音波骨折治療器)のレンタル期限が来ましたが、延長になりました。膝のXマークが消えないように、マジックで印をつける日々も続きます。
ジムでの筋トレは軽めで物足りない感じですが、続けています。
2回目のピラティスのパーソナルレッスンで、肩甲骨周りの左右差を指摘されました。
肘を90度曲げて後ろに引いたとき、右腕が真後ろに引けず斜めになってしまします。これも歩くときにバランスが悪くなる原因の一つのようです。肩甲骨周りを整える筋肉を動かして、刺激を入れていきます。地味な動きでしたが、次の日は軽い筋肉痛になりました。
9月3週目
ジョギングはまだ再開していませんでしたが、筋トレとピラティスをまじめに続けています。そのせいか、寝返りした時の痛みが少なくなってきました。階段の昇り降りも普通にできるようになり、スラックスをはくのも楽になってきました。
健常であれば、横断歩道の信号が点滅になったときは、速足になったり小走りしたりして渡ることができます。手術後はそれができませんでした。
渡り切れそうにないと思ったときは、次の青信号まで待たなければならず、もどかしい思いをしていました。
「軽くなら走っても良い」と担当医からのお許しも出たので、これからはそんな場面も減ってくるでしょう。
9月4週目
少しずつ動きが活発になったせいか、膝が少し腫れて痛みが出てきました。嫌な予感がします。
23日は外来診察、リハビリです。予想通り、膝に水が溜まっていたので、水を抜いて炎症止めのステロイド剤(デキサート注射液)を注射しました。リハビリは中止、ジョギングも禁止となりました。
通常は、膝の水を抜くと楽になるのですが、今回は2~3日でまた腫れて痛みが出てきました。シップをすると少し楽になります。診察は2週間毎なので、もう少しこのままシップで我慢します。
普通に走れるのはいつの日になるのでしょうか・・。
高位脛骨骨切り術 -退院2カ月目【閲覧注意】手術から3か月後の写真
『高位脛骨骨切り術』を受けて、2020年6月下旬(手術後4週間)に退院しました。
退院2カ月目(8月)の様子です。
【閲覧注意】手術から3か月後の写真があります。
8月1週目
階段はゆっくりであれば、両足を揃えなくても、交互に足を出して昇り降りができるようになりました。
<現在の症状>
寝返りした時や朝の動き出しに少し痛みを感じます。
すねにも少し痛みがあり、触った感じは鈍く少し痺れた感覚があります。
膝の熱もまだあります。
足の裏指の付け根が腫れている感じで、少し痛みがあります。
8月2週目
11日は外来診察、リハビリです。
平坦なところは杖なしで歩けるようになり、階段は松葉杖でなくても一本杖で昇り降りできるようになりました。借りていた松葉杖は返却して、これからは一本杖を使います。
膝周りがゴリゴリする感じがありましたが、レントゲンの結果は良好でした。人工骨は少しずつくっついてきているようです。リハビリでは、片足スクワットの練習をしました。自宅でのトレーニングについて確認すると、「動きには制限がないので無理のない程度でしてください。」、ウオーキングについて聞いてみると、「ゆっくりであればOK、小走り不可だけど大股ならOK。」ということでした。
なぜか、夜寝ているときの痒みはいまだ治りません。
8月3週目
杖なしでだいぶ歩けるようになりました。階段もゆっくりであれば杖なしで昇り降りできます。ただ、人込みではぶつかって転ぶのが怖いので、杖は持つようにしました。
まだいろいろな症状があって、走れるようになるには、遠い感じです。
<現在の症状>
歩いているときに時々膝の裏が伸びてロックした感じになることがあります。
膝がうまく上がらないのでズボンをはくときに苦労します。
寝ているとき膝を曲げると痛みを感じて、目を覚ますことがあります。
膝を曲げると、内側が痛くなることがあります。
8月4週目
杖なしであるけるようになりましたが、何となくバランスが悪いような気がして歩くのに違和感があります。
25日は外来診察、リハビリです。膝の内側の痛みについて尋ねると、「膝を曲げるときに、正面ではなく内側に入るため」ということでした。そのためには、お尻の横を鍛えることが重要なのだそうです。
リハビリで教わった筋トレを自宅で毎日行ううちに、階段の昇り降りも楽になってきました。
膝の熱は少し治まってきました。
気になるのは、朝の動き出しに少し痛みを感じることと、夜寝ているときの痒みです。
そして、手術の後、左足だけ毛深くなったことです。なぜかすね毛が濃くなっています。なぜ・・。
【閲覧注意です】
手術から3か月後の写真です。
腫れはだいぶ治まっています。
少し赤みを帯びているところが、今回の骨切り術の傷で約9.5cmあります。
抜糸した痕がある白っぽいところは、30年前に受けた内側側副靭帯縫合手術の傷で約6cmあります。
マジックの×マークは、アクセラスを取り付ける位置です。
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高位脛骨骨切り術 -退院1カ月目
『高位脛骨骨切り術』を受けて、2020年6月下旬(手術後4週間)に退院しました。
退院1カ月目(7月)の様子です。
7月1週目
1日から出勤となり、不安だった電車通勤は何とかクリアできました。
会社帰りにスーパーによって買い物をすることがありますが、歩きすぎると夕方にふくらはぎが張って痛くなってきます。杖を突いて歩くので体への負担も余計にかかり、この頃が一番辛い時期でした。
4日に退院後初めて外来診察とリハビリのため、病院に行ってきました。診察では特に問題は無く、リハビリではいつものように太ももの筋トレをしました。翌日に筋肉痛になりましたが歩くのが少し楽になった気がします。入院中もそうでしたが、筋トレの後は身体に刺激が入るためか歩くのが少し楽になります。
家の中では支えがなくても歩けるようになってきました。
そして、寝返りしたときの痛みも少し良くなってきました。
7月2週目
ゴミ出しなど短い距離であれば一本杖でも大丈夫ですが、買い物に行くにはまだ松葉杖が必要です。無理をして歩きすぎると夜に腫れと痛みが出てきます。日によっては痛みの少ない時もあります。すねを触ると痺れているような変な感じがまだ残っていて、傷の周りはまだ少し熱をもっています。
痛み止めの薬(カロナール)は、毎食後に飲んでいたものを昼食後だけにして、少しずつ減らしていくようにしました。
14日に外来診察とリハビリに行ってきました。ずっと気になっていた半月板について先生に尋ねると、「半月板は傷んでいたところを切除していますが、運動には問題ありません。」ということでちょっぴり安心しました。
リハビリでは、重りをつけて太ももの前と横の足上げ筋トレと、椅子からの立ち上がり方の練習をしました。
7月3週目
痛み止めの薬は終了です。
平地を歩くのが楽になってきました。階段は杖なしでも何とか降りることができるようになり、登りは松葉杖を一本杖のようにして体重をかけると楽に登れるようになりました。
すねの感覚は普通の状態に戻りました。ただ膝周りは痺れたような感覚が残っていて、熱もあります。
夕方のむくみや痛さはなくなってきましたが、朝の動き出しに少し痛みを感じます。
膝の痛みが少し良くなってきたので、痛みがない日は自宅でも筋トレをするようにしました。
7月4週目
26日に想定外の事態が起こりました。洗濯機の故障です。
28日は3回目の外来診察、リハビリです。膝に水が溜まっていたので、水を抜いてヒアルロン酸を注射しました。「太ももの筋力がないと、階段の昇り降りなどで膝に負担がかかり炎症が起こる」ということです。
洗濯機の故障で家電量販店に行ったりして、松葉杖で動き回ったので、膝にも負担がかかったのでしょうか。
水を抜いた後も膝の下側には少し痛みがあり、熱っぽさも残っています。
すねの内側にも少し痛みがでてきました。
なぜか、夜寝ているときに全身に痒みも出るようになりました。原因は不明です。
膝の状態は良くなったり、悪くなったりですが、・・少しずつ良くなることを期待したいです。