やっぱり、走るのが好き!

『変形性膝関節症』って何?『高位脛骨骨切り術』って何? 膝の痛みに“おさらば”して、再び走ることを目指す“シニアランナー”のブログです。同じお悩みをお持ちの方の参考になればうれしいです。

1999年サンアントニオマラソンの旅(その5)-マラソン大会の前編

20年前のマラソン旅行、今回は「マラソン大会の前編」です。

11月17日、いよいよマラソン大会の日がやってきました。 

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ラソンコース

スタート前

ラソンのスタートは、朝の7時です。スタート地点までは歩いて15分程度ですが、何となく落ち着かず4時前に起きだして準備を始めます。妹がわざわざ家から炊飯器を持参して、朝食におにぎりを握ってくれました。ありがたいです。

6時頃ホテルを出て、スタート地点に向かいます。集合場所のアラモドームまでは妹の旦那さんが付き添ってくれました。アラモドームは、スポーツ大会が開催されたりコンサートが行われたりする大きな屋内競技場です。昨日もプエルトリコの歌手リッキー・マーティンのコンサートがアラモドームで開催されていて周りはすごい賑わいでした。

ホテルを出たときはまだ薄暗く、薄いウインドブレーカーを着てちょうど良いくらいの気温でしたが、アラモドームの近くでウオーミングアップをしているうちにしだいに明るくなってきました。スタートの時間が近づくにつれて次第にランナーが集まってくると、気分も高揚してきます。 

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スタート

着ていたウインドブレーカーを妹の旦那さんに預け、スタート位置に並びます。特に指定がなかったので前の方で待機します。ランナーの多くはアメリカ人やメキシコ人ですが、この大会には日本人も含めて6か国から参加しているようです。

スタート前にアメリカ国歌の斉唱がありました。胸に手を当てて一緒に口ずさんでいるランナーもいて、アメリカの大会という雰囲気を感じます。その後、車椅子の選手がスタートし、続いて5分ほどしてから、マラソンと2人でハーフを走るリレーマラソンと合わせて2000人のランナーが一斉にスタートしました。

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アラモドームをスタートして、まず近くのコンベンションセンター(展示会議場)の周りを1周します。スタートの混雑はすぐに解消されて自分のペースで走ることができます。前方に妹と子供たちが旗を振って応援しているのが見えてきました。私も手を振ってそれに応えます。いつでも応援は力になります。

 

5km付近

アラモ伝道所、そしてトラビスパークの前を通過します。

アラモ伝道所はアラモ砦の戦い(テキサス共和国とメキシコ軍との戦闘)の舞台となったところです。キリスト教の伝道所とし建設されましたが、その後軍事要塞として使用されました。

石造りで日本の城壁とどこか似ています。13日間にわたって激しい戦いがこの場所で起こったのだと思うと、ゆっくりと眺めていたくなりますが、横目でちらりと見ただけで通り過ぎます。

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アラモ砦

10km~18km

10kmを過ぎたあたりで、米陸軍施設の敷地内に入ります。最初は気がつかなかったのですが、通常は立ち入りができないところのようで、見渡すと敷地は柵で囲われています。軍の制服で応援している姿もところどころで見かけました。中にはギターを持ち出して陽気に歌いながら応援しているグループもいました。ランナーもみんな楽しそうに走っています。熱い応援のせいか、汗ばんできました。気温も上がってきているようです。

給水所は全部で14ヵ所、約3km毎にありますが、応援に気を取られて水分補給を忘れないように気をつけないといけません。

陸軍施設の敷地を出て、サンアントニオ植物園を通過します。このあたりから建物が少なくなり、代わって緑が多くなってきます。

 

(その6)へ続きます。