1999年サンアントニオマラソンの旅(その3)-ラレード編
20年前のマラソン旅行、今回は「ラレード編」です。
いくら眠っても眠い、そんなラレード1日目の朝が来ました。マラソン大会は1週間後です。それまでは、ラレードでの日常生活を楽しみます。
ラレードの街
ラレードはメキシコとの国境が近く、この地域ならではの独特の雰囲気が感じられます。
ヒスパニック系(メキシコ人)の人口が多いので、スペイン語も使われています。近くに大きなショッピングモールがあって滞在中に何度か遊びに行きましたが、店員からスペイン語で話しかけられたこともありました。
メキシコ料理のお店もよく見かけます。メキシコ料理といえば、トルティーヤに肉や野菜を挟んで食べるタコスが有名です。アボカドペーストのワカモレや唐辛子が決め手のサルサソースなどをお好みでつけて食べます。アボカドペーストのワカモレは美味しくてすぐに私のお気に入りになりました。
ラレードに来て、私は初めてアボカドの存在を知りました。現在アボカドは普通にスーパーなどに並んでいますが、当時は日本ではあまり売られていなかったように思います。
ハロウィーン
ラレードに到着して2日目の31日は、ハロウィーンです。夕方になると、仮装した子供達が家々を訪ねまわってキャンディを集めていきます。いろいろ工夫してハロウィーンの飾り付けをしている家々をめざし、主役の子供達はお姫様やマンガのキャラクター等に変身して練り歩きます。小さな子供の親御さん達は、その様子をつかず離れず見守っています。
子供たちはみんなとてもかわいらしく、たくさんのキャンディが入ったバスケットをかかえて楽しそうです。
お祭りの最後は、ピニャータの登場です。ピニャータはメキシコや中南米でお祝い事の時によく登場します。
ピニャータは動物やキャラクターなどの形をした張りぼてで出来ていて、中にお菓子が詰め込まれています。
吊り下げられたピニャータを、目隠しした子供たちが順番に棒でたたいて壊します。ピニャータが壊れてお菓子がこぼれ落ちると、一斉に子供たちが拾い集めるのですが、これが大騒ぎで盛り上がります。
カルチャーショック
アメリカについて現在の日本では普通に知られていることが、当時は知らないことばかりで驚いたり感心させられたりすることが多々ありました。
・なんでもビッグサイズ!!
とにかく売っている物のサイズや1パックの量が大きいのです。スーパーマーケットで売っている肉は大きなブロックだし、お菓子、飲み物、洗剤などの1パックの量が多かったり、ハンバーガーのサイズが大きかったり・・。洋服のサイズも5L以上のビッグサイズがそろっています。
・飲料水を買う
水道水は飲めないので、20リットル入りの飲料水をスーパーマーケットで大量に買ってきます。日本ではまだ水を買う習慣が無かった頃です。
・ビュッフェスタイルのレストラン
ビュッフェスタイルで、食べ放題のレストランが多くあります。このようなお店も20年前の日本では少なかったように思います。
2.99ドルでピザが食べ放題のお店もありました。ピザを皿に山盛りにのせているお客さんがいて、食べきれるのかと気になっていると、さらにお代わりも山盛りにしてくるので、驚きです。
マラソン大会に向けて
ラレードでは夏の最高気温は40℃以上、11月でも30℃を超えることもあります。夏になると冷房は一日中入れたままです。ただ日本と違うのは湿度が低いので、外に出たときに暑いというよりは日光が痛いといった感じになります。外を歩く人もほとんどいなくて、近くでも移動するときは車を利用します。
マラソン大会に向けて少し調整しようかとも思いましたが、日中はとても走る気になれません。ランニングをするならば比較的涼しい朝となりますが、ラレードの朝はなぜか暗い感じがします。
10月最終日曜日まではサマータイムで、11月に入ると1時間ずれて遅くなっているからかもしれません。
この1週間は軽い調整でしたが、時差ボケもなくなり空の旅の疲れも取れて体調は万全です。
(その4)へ続きます。