1999年サンアントニオマラソンの旅(その2)-出発編
20年前のマラソン旅行、今回は「出発編」です。
アメリカへ出発する日がやってきました。ちょっとヒヤヒヤな空の旅です。
空港でのこと
10月29日の金曜日、いよいよ出発です。期待と不安と会社を休むというちょっとした後ろめたさを、JR駅で買ったアメリカへのお土産と共にバックパックにぎゅうぎゅうと詰めこみます。新幹線、成田エキスプレスと乗り継いで成田空港に到着です。ここまで来ると、海外に行くのだという実感が湧いてきます。
空港に着くとまずは宅急便で送っておいた荷物を受け取りに行きます。それから空港受け渡しの航空券を受け取るはずでしたが、指定されたカウンターがわかりません。出国手続きの時間が気になりますが、なかなか見つかりません。ちょっと不安になってきます。今度からは空港受け渡しの航空券は買わないぞと思いつつ空港内をうろうろします。(いまはeチケットの時代ですけどね)
仕方なくアメリカンエアラインのカウンターに行くと、受け取りの場所を親切に教えてくれました。なんてことはない、点滅する表示を見逃していただけでした。焦りました・・・。
航空券を受け取り、荷物を預けて、待ち合わせの彼とともに出国手続きも無事終えることができました。
機内でのこと
そして、ダラスF.W.空港まで約15時間の空の旅となります。
機内では、離陸して少しすると飲み物のサービスに続き、夕食が配られました。ビーフ、チキン、エビの3種類の中から好きなものを選びます。私は良く眠れるように飲み物はビールを、食事はチキンを選択しました。食事中や食後にも飲み物のサービスがあって、残さず食べると結構おなかいっぱいになります。座席の近かった同行の彼はと見ると、ビールを飲んでくつろいでいるようでした。
夕食後は機内が暗くなり新作の面白そうな映画が始まりますが、私は眠ることにしました。夜中?に軽食が配られてその気配で目がさめましたが、2本目の映画が始まる頃には再び眠りについていました。時差ぼけにならない様にするには映画は我慢してとにかく眠ることです。(←私の場合)
いつのまにか機内が明るくなり朝食のサービスが始まりました。シリアルかパンの選択で、私はパンを選びました。動かないのにおなかはすきます。旅行中は食事も楽しみのひとつなので、多少の体重増加は覚悟しておきます。朝食が終わると、ダラスF.W.空港も近くなってきます。窓の外は、アメリカの大地が広がっています。
アメリカ入国
現地時間の午後3時頃、ダラスF.W.国際空港に到着しました。
多少時差ボケはあるものの、お決まりの質問である滞在理由・日数・場所に答えて入国審査は難無く通過しました。もちろん会話はすべて英語です。審査官のお兄さんに英語が上手だねとお世辞を言われてうれしいけれど、本当はいつも同じ質問だから答えられるだけなのです。
次は手荷物の検査に向かいます。その前に、預けてあった荷物を流れてくるベルトコンベアーの上から引き摺り下ろし、カートに乗せます。手荷物の検査では、一人にしてはあまりにも荷物が多いからだと思うのですが、お土産の箱とバックパックの中をチェックされました。ここで私は、JR駅で買ってバックパックの中に入れておいたお土産用の牛タンを取り上げられてしまいました。アメリカでは肉類の持込が禁止されていたのです。勉強不足の自分が悪いのですが、大ショックでした。
気を取り直して再び荷物を預けて、国内線の出発ロビーに向かいました。同行の彼に、搭乗ゲートが変更になる事があると説明しながらモニターでチェックすると、言ったとおり変更になっていました。一度飛行機に乗り遅れたことがあるので、偉そうな事は言えませんが・・。
ラレード行きの国内線
ラレード行きの国内線に搭乗するために、飛行機の近くまでバスに乗って移動します。良く見ると、同行の彼と同じ会社の作業着を着た現地人らしき方数人と同じ飛行機でした。出張帰りの様です。
飛行機は小型のプロペラ機で、離陸後に空気の層をジャンプするように上昇していきます。小さい割にはあまり揺れもせず、ラレードに29日の夜9時に到着しました。
タラップで飛行機から滑走路に降り、歩いて空港の建物に向かいます。特に海外旅行の時なのですが、到着時にはその土地独特の香りを感じます。ラレードの空港では、花のようなちょっと甘い香りがしました。
空港ロビーでは、妹、旦那さん、甥、姪と一家総出で出迎えてくれました。そして会社関係者数人が同行の彼を迎えに来ていました。同じ便で来た会社の作業着を着た現地人らしき人達も、一緒に歓迎してくれていたようでした。
自宅を出てからちょうど24時間、長い空の旅でした。
※日本との時差:-15時間(サマータイム時:-14時間)
4月第1日曜日から10月最終日曜日まではサマータイムです。
(その3)へ続きます。